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  10 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「61歳の誕生日とトリカブト事件…」

 早いもので昨年の還暦パーティーから1年が過ぎた。今日で61歳である。自分が還暦を迎えることもまったく想像ができなかったが、あれから、あっという間に1年。この調子では、あっという間に古稀、そして傘寿である。

 そういえば昔の仲間や釣り仲間から祝いのメールが届いていたが、高校時代の友人から、2度目の成人式まで頑張ろうというのがあった。たしかに今が1歳だから20歳の成人式まで、19年ある。人生2度目の成人式をむかえるころには、どうなっているのだろう…。

 そんな61歳の誕生日に、今日は午後3時からBS日テレの特番、昭和の事件簿(仮題)の収録があった。2時間の特番で、いくつかの事件を取り上げるが、その1つがトリカブト事件で、そのことでインタビューしたいというのだ。

 トリカブト事件は1986年に起きた保険金目当ての殺人事件で、当時新潮社『フォーカス』の記者だった私が担当していた事案であった。それにしてもあれから今年で29年(!)。細部については忘れているが、それでもよいというので、インタビューを受けることにした。

 事件が起きたのは86年の5月。始まりは一本のタレコミ電話であった。当時『フォーカス』は創刊5年目。編集部には毎日のように、多くの情報提供、いわゆるタレコミ電話があった。最初の応対は編集部の総務があたるが、すぐに記者にかわる。そのタレコミを受けたのは私ではなかったが、すぐにデスクから内偵の依頼を受けた。

 結婚して間もない新妻が、石垣島のリゾートホテルで急死した。死因は急性心筋梗塞。その時夫は一緒にいなかったが、妻には生命保険会社4社合計で、約2億円の保険がかけられていた…。それから4~5年にわたって世間を騒がせたトリカブト事件の始まりである。

 最初は単なる不審死と思われていたこの事件は、取材を進めるうちに、夫が妻を殺した疑いが強いことが判った。当時はトリカブトのことはまったくわかっていなかったし、解剖を担当した琉球大学の大野助教授が、血液サンプルを採っていることもわからなかった。しかし、どう考えても夫が妻を毒殺したとしか考えられない。しかも、その夫の神谷力はそれが3度目の結婚で、前の2人の妻も、それぞれ心臓病で亡くなっていた。

 取材は5月下旬から7月上旬にかけ、1カ月半に及んだ。当時、神谷は逮捕もされていなければ、まだ事件にもなっていなかった。ただ、沖縄県警からすでに警視庁に担当が移り、あのロス疑惑を手がけた警視庁の捜査一課が、この件の担当になっているということはわかっていた。つまり、警察も本気であるということはわかっていたのだ。

 週刊文春の「疑惑の銃弾」ではないけれど、いわゆる調査報道として、この件を連載しようと決めたのが86年7月中旬で、たしか『フォーカス』で、3週にわたって記事が掲載されたと記憶している。

 30年近く経って、すでに最高裁で無期懲役が確定していた神谷力も獄中で死亡している。当時の資料もなにも残っていないが、テレビのインタビューに答えているうちに、不思議といろいろなことが思い出されてきた。当時私は32歳。連載前に一度だけ神谷と相対したこと、現場取材のために石垣島や、沖縄の琉球大学、仙台や青森、群馬、大阪などに行ったこと。そして2番目、1番目の妻の親族の方に話を聞いたことなど、まざまざと当時のシーンが頭に蘇ってきた。

 トリカブト毒に、後で判明したフグ毒。この2つを混ぜることで効きめを遅らせることができるという、恐るべき事実。29年経った今でも解けない謎がいくつか残されたままだが、日本の、いや世界の犯罪史上でも例を見ない、完全犯罪を目論んだ保険金殺人事件。今はこうしてウイスキーを生業としているが、それは私にとっても、忘れることのできない大きな事件であったのだ。

 「当時の土屋さんの写真はありますか?」とディレクターに聞かれたが、今私の手もとに残っているのは数枚のみ。そのうちの一枚は『フォーカス』に入ったばかりの時、編集部で撮った、たぶん28~29歳頃の写真である。


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