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  11 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「村上先生の通夜に参列…」

 先週金曜日の『公明新聞』の取材が最後で、ようやくインタビュー取材も一段落した。あとは年明け早々のインタビュー、そして7日からは滋賀・京都・大阪・長野の取材が待っている。

 ということで、朝から再び仕事場の整理。10年分の資料などがたまりにたまって、足の踏み場もないほどだったので、いい機会である。この10年で大きく変わったことがあるとすれば、ポジフィルムの整理をしなくてもよくなったことか。

 ちょうど『The Whisky World』が創刊した2005年からそれまでのフィルムカメラをやめて、デジタルに切り替えた。以前はスリーブ状態のポジフィルムをビューワーでのぞいて、ピックアップをし、それを切り出してスライド用のマウントにするという作業があったが、今はない。そのための道具もカメラも、すっかり埃をかぶっている。今はデジタルのみで、一眼レフが4台目。コンパクトカメラが2台目である。

 昼すぎまでその作業に没頭し、夕方は新宿区上落合にあるお寺で開かれた村上先生の通夜に参列。昨日、竹鶴威さんの訃報に接したばかりだったが、先週、私が大変お世話になった「千歳ムラカミ医院」の村上レイ子先生が、同じく90歳で逝去された。

 先生との出会いは、私が学習院大学に入学した1972年のこと。当時、大学の校医をされていた先生のところに、探検部の合宿があるたびに、いろいろ相談に行っていた。1年の夏の無人島合宿の時に、先生の紹介で当時まだ治験段階だったハブ毒の予防薬(?)、「ハブトキサイド」を熱帯病研究所に打ちに行ったこともある。

 75年のインド、チベット行以降は、遠征隊に必要なすべての薬を集めていただいたのも先生である。76年に急性肝炎、84年に胸膜炎を私が患った時も、病院などの手配、紹介をしてくれたのも先生だった。私にとっては“東京の母”ともいえる存在で、42年にわたって公私共にお世話になった大恩人である。

 その村上先生が逝ってしまった。11年前に佐渡の母親が亡くなり、そのずっと前に、私が“チベットの母”と呼んでいた、ラダックのカーン家のアマレーもなくなっている。いつか3人の母についても書かなければと思っているのだが、時間ばかりが過ぎてしまって…。人生、宿題ばかりが残される。


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