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  10 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「リタさんの生家を探し歩く…」
 5月7日(水)に日本を出発して、昨日の日曜日、5月18日にもどってきた。スコ文研ツアーで訪れた蒸留所はディーンストン、エドラダワー、マッカラン、グレンロセス、グレングラント、グレンフィディック、バルヴェニー、ストラスアイラ、グレンリベット、グレンファークラス、ノックドゥー、ロイヤルロッホナガーの計12ヵ所。

 ツアー後に、一行と別れて訪れた蒸留所がストラスアーンとアナンデール、グレンタレットの3ヵ所。結局合計15ヵ所の蒸留所を訪れることができた。

 今回の旅の目的は、もちろんスコ文研ツアーが第一だが、もう1つは竹鶴政孝の足跡を追うことだった。ツアー途中も、エルギンの旧ステーションホテルや、竹鶴が1週間修業したロングモーン蒸留所の、ロングモーン駅を見ることができた。ツアーの一行と別れて最終日に訪れたのが、リタさんのカーカンテロフ(正確な発音はカーキンテロッホか…)の生家である。リタさんと竹鶴が出会ったのが、まさにこの家だった。

 竹鶴の自伝や、その後の評論などで度々登場する古い写真があり、この家はその後、街のカウンシルセンターとして使われているとあったが、実際住所をたよりに行ってみると、そこはバイパス道路の下になっていて、跡形もない。横のナイトクラブ(タントラという怪しげなクラブだ)が、その家ではないかと言われたが、そうではない。街の図書館の古い地図も確かめたが、現在家はすべて取り壊され、家があった場所は交通量の多いバイパスとなっているのだ。今から30年近く前の1980年代半ばのことだという。

 なんとかできなかったのかという気もするが、今となってはどうしようもない。おそらく庭の一部ではないかと思われる茂みがあり、そこでは1株のシャクナゲが紫の花をつけていた。

 時間があれば、町のアーカイブミュージアムにも寄りたかったが、その日はグラスゴー大学、ステーションホテル(グラスゴーセントラル)、さらにホワイトマッカイのパターソン氏とも会う約束があり、果たせなかった。エジンバラへの帰路、ファルカークのローズバンク、リンリスゴーのセント・マクデランを回るのが精一杯だった。

 それにしてもと思う。今回のツアーは盛り沢山で、その後の取材も含めて収穫は大きかったが、スコットランドは一大ウイスキーブームで、どこの蒸留所もツアー客で一杯。それに伴って、ますますスコ文研的なツアーが難しくなっている。人数も1グループ10名程度と制限されているし、写真が撮れないところがほとんどだ。ワールドや通信の取材を兼ねている身としてはツライ。やはり、もう一度考え直す時期にきているのかもしれないと、改めて思い知らされた。

 結局、もどってきて昨日はそのまま事務所に行き『Whisky World』のゲラを受け取り、恵比寿の仕事場で校正。時差ボケで頭はモーローとしているが、そんなことも言ってられない。旅行中、体調が悪く、後半抗生剤をのみつづけていたせいもあるのか、舌や口の中に口内炎ができ、最悪の状態。足、腰、肩にも相当きている。その上に眼である…。

 今日は昼すぎに事務所に行き、ワールドの校正、そしてたまりにたまった事務仕事をこなす。いろいろなことが進行していて、さすがに2週間の不在はこたえる。「ウイスキー検定」のポップやコースター、ポスターもすでにできていて、初めて目にした。大阪フェス、バーボンフェスも迫っている。

 ということで4時からスタッフミーティング。5月25日のプロフェッショナル試験と『ウイスキー通信』、そして両フェスの確認作業。ウイスキーワールドの校了が済んでないのに、もう次号の通信だ…。帰って休む間もなく、いつもの怒涛のスケジュールである。

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