2
3
4
5
6
7
8
10
12
13
14
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
  10 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

検索フォーム
QRコード
QR

 

「フェスのミーティングと究極のモルトマラソン」
 午前中、名酒事典の再校、エキスパート試験の解答準備。いよいよ本日午後から、採点開始である。それらを用意し、昼頃にスコ文研。大阪会場の解答用紙も持ちこまれ、1時半すぎから採点開始。

 今回は東京と大阪2会場で250名ちょいの受験者がいたが、欠席者は両方合わせて6名のみ。どしゃぶりの雨にもかかわらず、よく受けてくれたものだと思う。

 採点はスタッフ3人にまかせ、私自身は名酒事典の校正をして、それを講談社に送る作業。さらに10月26日の宮古の“シングルモルトの集い”用のオリジナルボトルの撮影、その発送。サントリーからマッカラン・ファインオーク12年のミニチュアボトルをいただいたので、フェス当日、スコ文研会員先着200名様に1本ずつプレゼントすることを急遽決定。そのミニチュアの撮影もしてしまう。

 25日(金)の通信発送に向け、その中に同封するチラシの入稿もほぼ完了。参加者全員に配る、フェスロゴ入りエコバッグの発注(ロゴのデザイン発注)、トートバックの追加発注も行い、さらにポスター(A2サイズ)の発注もやってしまう。今年の入場者には、そのエコバッグと、これはバーボンフェスの時も協賛してもらったが、クリスタルガイザーのペットボトル1本が、配られることになる。3000名近くを用意するのは、なかなか大変な作業である。

 ということで午後から、東京フェスの全体ミーティング。バイトのR君にも加わってもらい、総勢9名でのミーティングである。セミナー会場も3つあり、さらにブラインドコンテストなどもあるので、人員配置が相当大変になる。会場警備も入れて50名近いスタッフを当日動かさなければならない。これをわずか4~5名の常駐スタッフでこなさなければならないのだから、スゴイといえばスゴイ。スコ文研のスタッフは、ある意味、一騎当千のツワ者ぞろいである。というか、そうでなければ務まらないと思っている。

 結局、ミーティングは6時すぎに終了し(中断し)、急いで準備して7時から「究極のモルトマラソン」第10回目。ここ4~5回続いていたグレンとつく蒸留所が、ついに終了し、今回の最後のボトルからいよいよ“グレン隊”でないボトルが登場する。

 テイスティングアイテムは、①グレンロセス・セレクトリザーブ、②グレンスコシア12年、③グレンスペイ12年、④グレントファース1991年、⑤グレンタレット10年、⑥ハイランドパーク1993年の6本。④のトファースと⑥のハイランドパーク以外は、すべてオフィシャルだ。

 毎回1つのテーマについて話をするが、今回は6アイテム中3つがエドリントングループの蒸留所だったので、少しエドリントンについて話をする。同社の前身は19世紀後半に誕生したハイランド・ディスティラーズ社だ。もともとアイラのブナハーブンとスペサイドのグレンロセスを持っていたが、のちにマッカランやハイランドパーク、グレンタレット、タムドゥーなどを手に入れ、大きく成長した。現在、エドリントンが所有しているのは、マッカランとハイランドパーク、グレンロセス、そしてグレンタレットの4つの蒸留所だ。

 実は、私のプロフィールで「世界のウィスキーライター5人に選ばれて…」と、よく使うが、これはハイランド・ディスティラーズ社から1997~98年に選ばれたもの。当時、世界的なマーケティング戦略のため、スコットランドの蒸留所についての評価を求められたのだ。たしか、いくつかの質問項目があり、それらについてトップ20の蒸留所を選んだ記憶がある。

 ハイランド・ディスティラーズが太っ腹(?)だったのは、自社の蒸留所以外でもすべてOKだったことで、「1つも入らなくても結構」ということだった(もちろん、誰がやってもトップ20にマッカランやハイランドパークは入ってくる)。

 選ばれた5人というのは、故マイケル・ジャクソン氏、ジム・マーレイ氏、そして私、それ以外の2人については当時は名前を聞いても知らなかった。たしかドイツ、アメリカからだったと思う。今、大活躍しているチャールズ・マクリーン氏も、デイブ・ブルーム氏もまだいなかった。ただし、その結果が、どう活かされたのか、私はまったく知らない。直後の1999年にハイランド・ディスティラーズ社自体が消滅してしまったからで、うまく活かされなかったのだろうと思う。

 それから数年後の2006年だったと記憶するが、エドリントンのブレンダー室に、当時のマスターブレンダー、ジョン・ラムゼイ氏を尋ねたことがある。その時にブレンダー室の書庫に私のサイン入りの大全シリーズが並べられていて、それはそれは感動したものである。そういえば、ラムゼイ氏が来日した時に、うちのエキスパート試験の英語版(1度だけ作ったことがある)をやってもらったことがあって、「60点しか取れなかった」と、翌日笑いながら言われたものだ。我々のやっていることを理解してくれた人物の一人だった。

 そんなことを思い出しながら、究極のモルトマラソンは予定通り9時に終了。受講生の一番人気は、ハイランドパークとグレンスペイという声が多かった。いずれにしろ、ハイランドパーク、グレンロセス以外は、バーで見かけることもほとんどないし、もしあったとしても、飲むことはほとんどないと思われるボトルばかりだが…。

DSC_0410.jpg


スポンサーサイト



* ウイスキー文化研究所公式HP
* ウイスキー文化研究所公式twitter