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  08 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「サッチャーさん死す…」
 昨日は一日中釣りとバーベキューをしていたこともあり、久しぶりにグッスリと眠れた。それでも朝5時半に起き、午前中は『ウイスキー通信』の校正、午後スコ文研。デザイナーのIさんから届いている通信のレイアウトページを再び校正。

 兵庫県在住のイラストレーター、版画家のWさんからスコ文研オリジナル版画の第2弾、2点が届いている。第1弾はボウモア、ラフロイグ、タリスカー、ハイランドパーク、マッカランの5点だったが、第2弾はアードベッグとラガヴーリンの2点を新たに追加した。これで計7点となった。限定30枚シリーズの、まずはシリアルナンバー1から5までの5枚が届く…。

 結局5時半頃まで校正、事務仕事に追われオフィスを出たのが6時前。途中、買い物をして7時前に恵比寿の仕事場へ戻る。夜、テレビニュースでサッチャーさん死去を知る。享年87。

 サッチャーさんが英国史上初の女性首相となったのは1979年のことで、それから1990年に辞任するまで11年という長い間首相の座にすわり続けた。当時イギリス経済はドン底で、強力な“サッチャリズム”で、英国経済の立て直しを図った。いわゆる“自助努力”である。英国にアメリカ式の競争原理を持ち込んだとして、国民だけでなく保守党内の批判も強かったが、それで英国経済が立ち直ったのも事実である。

 ちょうど私たち家族がイギリスに暮らしたのはその頃で(1987年9月から93年1月まで)、サッチャーさんの“勇姿”は連日のようにテレビや新聞紙面で見ていた。日本企業をさかんに誘致したのもサッチャーさんで、ロンドンには日本人駐在員があふれ返った。当時日本はイギリスと違って、バブル絶頂期…。その日本人駐在員向けに出していたのが、私が編集長を務めていた月刊『ジャーニー』だった。

 なんでもアリの雑誌で、それこそ政治から経済、旅行に至るまで、イギリス世界のありとあらゆることを取材し、それを記事にしていた。当然、サッチャーさんにまつわることも多く、イギリス経済の復興と、高まる国民の不満といったものを日々肌で感じていた。1990年の辞任の日は、マスコミでも大騒ぎとなったが、ちょうど私はロンドンの地下鉄に乗っていて、チャリングクロスの駅に降り立った時だった。その時、ホームに流れた臨時の場内アナウンスは、今でも忘れられない。それは、サッチャー辞任を伝える労働組合の緊急アナウンスだったからだ。

 ことの是非はともかくとして、1つの時代が終わったことを、その地下鉄の暗いホームのアナウンスは象徴していた。そのサッチャーさんが主導したのが、1982年のフォークランド紛争。これは後で知ったことだが、サッチャーさんは大のスコッチ党で(夫のデニス氏は大のビール党)、その時、ダウニング街10番地の首相官邸で寝酒に飲んでいたのが、シングルモルトのグレンファークラスだったという。

 今となっては、どこまで本当だったのか分からないが(サッチャーさんは英国製品の売り込みにおいては手段を選ばず、スーパーセールスウーマンの異名を取っていた)、鉄の女らしく、グレンファークラスの中でも例の105プルーフ、アルコール度数60%のファークラスを好んで飲んでいたと、言われたものである。

 そのサッチャーさんは、もういない。謹んで哀悼の意を捧げたいと思う。

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