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  09 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「スコットランドでは日曜の蒸留が禁じられていた…」
 午前中、ワールドの校正をして、午後イチでスコ文研。入稿作業は遅々として進んでいない。レイアウトの上がりを待っていてもしょうがないので、その間にウイスキースクールの準備。今週は「竹鶴ノートを読み解く」と、「ウイスキーエキスパート養成講座」の計3コマがあり、さらに来週からは「究極のモルトマラソン」、「短期集中ウイスキープロフェッショナル養成講座」の4コマがスタートする。モルトマラソンは受講希望者が多かったため、急遽、火曜夜コースのほかに、木曜夜コースも設けた。同じ内容を2度やることになる。

 そのボトル撮影と、今後のスケジュール調整。そして『ウイスキー通信』の執筆、校正作業である。

 ギリギリまでワールドの入稿・校正作業を行い、7時から3回目となる「竹鶴ノート」セミナー。前回・前々回同様、ノートを現代語訳したテキストを読んでいきながら、ポイントとなるところをホワイトボードを使って解説。今回は発酵から蒸留にかけてだが、一番違うのは、仕込みのサイズ(麦芽の量)をバッチごとに変えている点だ。

 もちろん、すべての蒸留所がそうだったわけではなく、竹鶴が実地訓練したヘーゼルバーンの特殊事情だった可能性もあるが、これはこれで興味深い。当時は月から火の早朝にかけて仕込み(糖化)を行い、水・木で発酵、金・土で蒸留を行っていたのだ。これは土曜の午後から日曜にかけ、一切の労働が禁止されていたからで(宗教上の理由)、すべての作業を土曜の昼までに終了させる必要があったからだと、竹鶴は書いている。

 実はスコットランドで日曜の製造が許可されたのは、第二次大戦後の1946年のことなのだ。というようなことをレクチャーし、最後に、ハイランドパーク18年(旧瓶)、とラガヴーリン12年カスクストレングスをテイスティング。ハイランドパークはフロアモルティングつながり(?)で、ラガヴーリンは、当時ヘーゼルバーン同様、マッキー社が所有していたからだ。このマッキー社は、その後ホワイトホース社と改名し、直後の1927年にDCLの傘下となっている。

 竹鶴ノートを読みながら、できればそうした歴史、当時の環境についても触れていきたいと思っているのだ。

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