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  08 ,2020

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「養命酒取材に秩父ウイスキー祭」

 今日は私の65歳の誕生日である。65歳は私が1つの目安にしていた年で、晴れて(?)、今日からシルバーエイジということになる。つまり映画館も安く入れるし、私がよく行く管理釣場も割引になるし、年金ももらえるようになる…。といっても、通過点にすぎない。60歳の還暦の時は、干支が一回りしたという感慨と、新たな年の始まりという気がしたが、65歳はそれとは少し違う。まあ、この5年間は、それ以前の5年間と比べてみても激動の5年間だった。今は加速度的にやることが増えているし、新たなことにチャレンジしようという意欲も増している。体はあちこちガタがきているが、やりたいことは、まだまだ一杯あるのだ。とても休んでなんかいられないというのが、今の心境だ。

 ということで先週の木曜日は朝イチの特急で茅野に行き、そこから車で長野県駒ヶ根市にある養命酒の工場へ。養命酒がクラフトジンを出すことになり(3月1日)、その取材で急遽訪れることになったのだ。「香の森」「香の雫」と名付けられたクラフトジンの主ボタニカルはクロモジ。クスノキ科の落葉低木で、日本の山野に自生している。実は薬用養命酒の14生薬の中で最も量が多いのが、このクロモジで、私にとっては実に懐かしい香味でもあった。

 というのも今から57年前、当時私が小学校3年生だったころ、お袋が毎日私に飲ませていたのが、養命酒だったからだ。当時、児童の栄養が今ほど足りていなかった時代(昭和30年代から40年代前半)、養命酒は子供も飲むものだった。『少年マガジン』や『少年サンデー』にも堂々と養命酒の広告が載っていたし、病弱だった(そう思われていた…)私を心配して母が買ってくれたものだった。その養命酒からジンが出て、それを60年近くを経て私が取材に行くことになるとは。

 ジン造りの詳細と養命酒の歴史などについては次号のガロアを見てのお楽しみだが、とにかく雄大な中央アルプス、南アルプスに挟まれた絶景の地に建つ養命酒工場。マルス信州蒸溜所とは谷を隔てているが、お隣同士で、標高は養命酒が803メートル、マルスが798メートルと、養命酒が5メートルほど勝っている。36万平米という広大な敷地の70%近くが森林で、養命酒・ジン双方の決めてとなる仕込水は中央アルプス・空木岳の伏流水で地下150メートルから汲み上げている。中央アルプスは日本最大の花崗岩でできた山魂で、この水も高度15度の超軟水だという。

 結局4時間近く取材して、再び車と特急を利用して都内にもどったのは夜8時すぎ。金曜日はウイ文研でミーティングに明け暮れ、昨日は恵比寿の仕事場でガロアの原稿とマスター・オブ・ウイスキー(MW)の2次試験の問題作り。今年2次審査に挑めるのは論文審査に通った3名のみ。試験は、いよいよこんどの日曜日だ。

 そして今日は再び朝8時半池袋発のレッドアロー号に乗って秩父へ。毎年恒例の秩父ウイスキー祭のためである。ウイ文研は2つのブースを出しており、私も3時から、これまた毎年恒例のトークショー。今年のゲストは信濃屋さんの北梶さんとスリーリバーズの大熊さんだった。ウイスキー祭は5時に閉幕となったが、結局、打ち上げがその後2時間以上続き、8時25分発のレッドアロー号で再び都心にもどることに。驚いたのは200名近い人が集まる打ち上げパーティーで、サプライズで私の65歳の誕生日を皆で祝ってくれたことだ。本当にありがたいことだと思っている。

 サプライズを用意してくれたベンチャーウイスキーのMさん、Yさんはじめ、皆さんに感謝である。


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