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  11 ,2018

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「酒田で西郷隆盛!?そして本間家のルーツとは」

 「ぶらり旅」で全国を訪れていると、思わぬ発見をする。今回の酒田・遊佐でも当初は芭蕉と本間美術館、別邸が見られればいいと思っていたが、庄内空港に着いた途端に西郷隆盛に出会ってしまった。なんと酒田に西郷をまつった南洲神社があるというのだ。

 なぜ酒田で西郷なのか…。その謎は取材を進めていくうちに明らかとなった。実は明治維新の時、西郷は官軍の大将として新潟(長岡)、東北を転戦しているが、庄内藩(鶴岡)を攻めたのも西郷で、しかし西郷は敗軍の庄内藩に対して寛大な処置をとったのだという。ちょうど先々週くらいの大河ドラマで長岡藩との激しい戦いを描いていたが(弟の吉二郎がこの戦いで亡くなっている)、これを機に西郷のなにかが変わったのだろう。

 とにかく庄内藩はのちにそのことを知り、西郷に恩を感じ、維新後なんども鹿児島の西郷家を訪れ、その教えを請うたのだという。『南洲翁遺訓』としてそれは1冊の小冊子にまとめられているが、西郷の徳を慕ってその後も訪れ、西南戦争の時は元庄内藩の若者が共に従軍し、西郷とともに死んでいるのだとか。

 酒田・鶴岡から遠く離れた鹿児島に行き、そして異国の地で命を落とす…。今、酒田市と鹿児島市は姉妹都市ならぬ、「兄弟都市」として交流を深めている。その経緯があって、酒田に南洲神社が建てられたのだ。同神社は全国に5ヶ所あるというが、九州以外では酒田が唯一だという。

 昔、田舎の家に行くとよく天皇の写真が飾られていたりしたが、庄内地方の村では天皇の写真のかわりに西郷の遺影が飾られていたと、たまたま乗ったタクシーの運転手が教えてくれた。最上川を越えて初孫の酒蔵に行く途中のことである。

 もう1つ、酒田を取材していて、本間家についても多くのことを知った。酒田は江戸時代に開かれた北前船の湊として栄えたが、その酒田で日本一の豪商といわれたのが本間家だ。廻船業から両替、薬種問屋と手広く商売を行い、日本いちの大地主といわれた家である。嘘かまことか分からないが、酒田から江戸まで他人の土地を踏まずに行けたといわれるほどで、その財力・人望は大名をも凌いでいた。「本間様には及びもつかぬが、せめてなりたや殿様に」と、俗謡にもうたわれたほどで、酒田といえば本間家といっても過言ではないほどなのだ。

 その本間家がどこから来たのか、私には興味があった。もともと屋号が「新潟屋」ということだったので、越後かと思ったが、本間家旧宅の案内係の女性は、佐渡ではないかという。実は佐渡には本間姓が多い。本間か土屋かというほどで、小・中・高とクラスには必ず数人の本間、土屋がいた。

 さらに北前船の寄港地というのは酒田の前が佐渡の小木・宿根木である。越後(新潟)には柏崎という港があったが、賑わっていたのは佐渡のほうである。もともと佐渡には江戸幕府300年を支えた佐渡金山があり、徳川家にとって最重要な土地でもあったのだ。

 とにかく、佐渡の人間にとっては酒田の本間家というのは気になる存在で、今は佐渡と酒田の交流はないが、昔は北前船で結ばれ、思った以上に近い存在だったのかもしれない。

 「ぶらり旅」では思わぬ発見をする…。これだから止められないのだが。


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