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  10 ,2017

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「アキバでプルトニーセミナーに参加」
 午前中、『Wshiky World』の原稿を書いて、昼すぎにスコ文研。3時に秋葉原で開かれていた「モダン・モルトウイスキー・マーケット」。日比谷線で広尾からアキバに行ったが、駅前がすっかり変わっていて、かつてのアキバとは別世界! しばし途方に暮れてしまった。

 アキバといえば、かつては電気街。東京に出て、初めてやった長期バイトがアキバの電器店の販売員。大学1年(1972年)の11月から年末にかけてで、電気コタツや冷蔵庫、洗濯機などを売っていたことを思い出したが、その店がどこにあったかも、もう思い出せない。

 元スコ文研スタッフのIさん、世話人のSさんと待ち合わせて3時15分からプルトニーセミナーに出席。プルトニーに最後に行ったのは2008年のことなので、最新情報を知りたかったためだ。

 セミナーで一番驚いたのが、プルトニーがあるウィックでかつて禁酒法が施行されていたという事実。ウィックがヨーロッパ随一のニシンの漁港だとは知っていたが、19世紀後半から20世紀初頭にかけ、ウィックには1,100隻のニシン漁船がひしめき合い、その船員、加工労働者として、7,000人の出稼ぎ労働者がいたことは、初めて知った。

 きつい労働をまぎらわせるため、人々はウイスキーを飲み続け、ウィックで一日に消費されるウイスキーは500ガロンにものぼったという。500ガロンといえば2,250リットル。これはプルーフガロンのことだから、43%で750mlのボトルに換算すると約5,000本。つまり、1人が毎日1本近いウイスキーを飲んでいたことになる。

 当然アル中が蔓延し、犯罪が多発したことは想像に難くない。そのため政府がとった措置が25年間の禁酒であった。これは初めて聞く話だったが、イギリス国内ではもちろんウィックが唯一の例である。禁酒法は1922年に施行され、戦後の1947年に解除された。今でもプルトニー蒸留所では、この1947年の解禁を祝して年に1回パーティーを開くという。

 それにしても、ウィックのニシン漁の大盛期は他に比べて遅い気がする。スコットランドでニシン漁で栄えた港というと、アバディーン、フレイザーバラ、ピーターヘッド、ストーノウェイなどが知られる。ストーノウェイを除いて、すべて東海岸の北海に面している(ストーノウェイは外ヘブリディーズのルイス島)。それらの港のニシン漁は19世紀後半がピークで、その後衰退している。もちろん戦後は乱獲がたたってニシンは激減。6年間の全面禁漁が決められたが、ニシンの群れはもどっていない。

 ま、そんな話を聞いて最後はニューポット、12年、17年、21年のテイスティング。『ウイスキーバイブル』で知られるジム・マーレイ氏が2012年の最新版で、プルトニー21年に97.5点という最高点をつけ、これはBBCニュースでも話題になっているが、飲み比べると、はるかに17年のほうが美味しく感じる。欧米人と日本人の味覚はやはり違うのだろうか。いずれにしろ正規輸入が楽しみである。

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