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01 ,2020
このところ新型のコロナウイルスの話で世界は騒然としているが、私も人ごとではない。ツアーやセミナー、イベントなどで人込みの中に出かけることが多いからだ。ということで、会社も集配人や取材、ミーティングで多くの人が訪れるので、入ってすぐの所にアルコール消毒液を置くようにした。
と言っていた矢先に、スタッフの一人のD君がA型のインフルエンザにかかりダウン。私もこのところの激務がたたって、体の節々が痛み、熱もある。まさか、コレって…。
ま、とりあえず咳は出てないし、喉の痛みもないので、ぶっ倒れるまで仕事をするしかない。毎日のように取材が相次ぎ、今日はTBSテレビの「あさチャン!」の取材を受ける。テレ朝の報道ステーションの取材も受けるが、その放送はどうもないようだ。2月2日の日曜からは水戸と、そして筑波(八郷)に行ってしまうため、ここでインフルエンザなんかにかかっている暇はない。ましてやコロナウイルスなどだ。
ということで、例によって午前中ガロアの原稿、校正をして、その後TWSCの進行案。12時すぎに仕事場を出て、1時からマンダリンオリエンタルホテルで開かれた、サントリーのウイスキー事業説明会に出席。広報のEさんから、「ぜひ!!」と言われていた理由がよく分かった。
なんと、山崎の55年物の発表を兼ねたプレス記者会見だったのだ。山崎の50年は、当時たしか1本100万円で販売されたと思うが、今ではオークションで3000万円を超える値がついている。今回の55年物は限定100本で、1本300万円。しかも抽選だという。2月中にその申し込みが始まり、当選者に出荷されるのは6月のオリンピック直前という。
もちろん、テイスティングができた訳ではないが、その味は想像できる。50年の時もスゴイと思ったが、今回の55年物はそれ以上だろう。間違いなく日本のウイスキーの1つの到達点で、金字塔といえるものだ。申し込み開始と同時に1万件近い応募が殺到し、今年中にオークションではヘタをすると5000万円近い値がつくだろう。
ウイ文研としても1本…。うーん、少なくとも私がそれをやってしまったら、評論家・ジャーナリストとしての看板を降ろさないといけない。ウイスキー人生30数年、一度も投機目的でボトルを買ったことがないのが、私の数少ない自慢のひとつだからだ。もちろん、コレクションする気もない。
ウイスキーは今、大きなうねりの中にいる。日々刻々と変化する世界情勢の中で、ウイスキーの魅力とは何か、ウイスキーの世界観を発信していきたいと思っている。大きな変化の時代に、私たちウイ文研がやれることは何なのか。何をやるべきなのかを日々、スタッフと共に考えている。そのためにはウイ文研の中の変化も必要だろう。ということで、新たな組織づくりにも着手しようと思っている。
ここで改めて、私の盟友、義兄弟(勝手にそう思っていたが…)ともいえる存在だった横浜「グレートウォール」の陳さんが亡くなったことに、哀悼の意を捧げたいと思う。昨年のTWSCには無理をして審査に加わっていただいた。チベットの本を送った時は、「嬉しい」といってメールをくれた。最後のメールは1月17日、私が鹿児島にいる時だった。どうか安らかに眠って下さい。『ウイスキーワールド』の創刊第2号の時、今のぶらり旅の前身となる『酒場紀行』に陳さんに登場してもらった。今から15年前の話である。陳さんの人懐っこい笑顔が忘れられない。
陳さん、長い間本当にありがとう。
お疲れさま
あなたが兄と慕ってくれた、不肖の私より




* ウイスキー文化研究所公式HP
* ウイスキー文化研究所公式twitter
と言っていた矢先に、スタッフの一人のD君がA型のインフルエンザにかかりダウン。私もこのところの激務がたたって、体の節々が痛み、熱もある。まさか、コレって…。
ま、とりあえず咳は出てないし、喉の痛みもないので、ぶっ倒れるまで仕事をするしかない。毎日のように取材が相次ぎ、今日はTBSテレビの「あさチャン!」の取材を受ける。テレ朝の報道ステーションの取材も受けるが、その放送はどうもないようだ。2月2日の日曜からは水戸と、そして筑波(八郷)に行ってしまうため、ここでインフルエンザなんかにかかっている暇はない。ましてやコロナウイルスなどだ。
ということで、例によって午前中ガロアの原稿、校正をして、その後TWSCの進行案。12時すぎに仕事場を出て、1時からマンダリンオリエンタルホテルで開かれた、サントリーのウイスキー事業説明会に出席。広報のEさんから、「ぜひ!!」と言われていた理由がよく分かった。
なんと、山崎の55年物の発表を兼ねたプレス記者会見だったのだ。山崎の50年は、当時たしか1本100万円で販売されたと思うが、今ではオークションで3000万円を超える値がついている。今回の55年物は限定100本で、1本300万円。しかも抽選だという。2月中にその申し込みが始まり、当選者に出荷されるのは6月のオリンピック直前という。
もちろん、テイスティングができた訳ではないが、その味は想像できる。50年の時もスゴイと思ったが、今回の55年物はそれ以上だろう。間違いなく日本のウイスキーの1つの到達点で、金字塔といえるものだ。申し込み開始と同時に1万件近い応募が殺到し、今年中にオークションではヘタをすると5000万円近い値がつくだろう。
ウイ文研としても1本…。うーん、少なくとも私がそれをやってしまったら、評論家・ジャーナリストとしての看板を降ろさないといけない。ウイスキー人生30数年、一度も投機目的でボトルを買ったことがないのが、私の数少ない自慢のひとつだからだ。もちろん、コレクションする気もない。
ウイスキーは今、大きなうねりの中にいる。日々刻々と変化する世界情勢の中で、ウイスキーの魅力とは何か、ウイスキーの世界観を発信していきたいと思っている。大きな変化の時代に、私たちウイ文研がやれることは何なのか。何をやるべきなのかを日々、スタッフと共に考えている。そのためにはウイ文研の中の変化も必要だろう。ということで、新たな組織づくりにも着手しようと思っている。
ここで改めて、私の盟友、義兄弟(勝手にそう思っていたが…)ともいえる存在だった横浜「グレートウォール」の陳さんが亡くなったことに、哀悼の意を捧げたいと思う。昨年のTWSCには無理をして審査に加わっていただいた。チベットの本を送った時は、「嬉しい」といってメールをくれた。最後のメールは1月17日、私が鹿児島にいる時だった。どうか安らかに眠って下さい。『ウイスキーワールド』の創刊第2号の時、今のぶらり旅の前身となる『酒場紀行』に陳さんに登場してもらった。今から15年前の話である。陳さんの人懐っこい笑顔が忘れられない。
陳さん、長い間本当にありがとう。
お疲れさま
あなたが兄と慕ってくれた、不肖の私より




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