31
07 ,2019
今日で7月も終わりである。月日の経つのは本当に早い。特にこの2ヵ月は、あっという間で、何をしていたのか、ヘタをすると覚えていないくらいだ。
月曜日に来年のコンペのパンフレットができてきて、その発送作業を開始した。審査員や、出品関係、マスコミ等、ようやくTWSC2020の公式のスタートだ。ということもあり、昨日30日の火曜日には、第1回実行委員会を開くことに。
今回の実行委員会は私も含めて16名だが、輿水さん、梅内さん、白根さん、平田さんを除く12名が参加した。そのための資料を山のように用意したが、1つはTWSCの作業部会の1つとして「ジャパニーズウイスキーの定義を考える会」を発足させ、その趣意書を作り実行委員に見てもらった。いよいよJWA(日本ウイスキー協会)設立に向けて、本格的に取り組まないといけない。
もう1つ、TWSCの中に「焼酎部会」を設け、焼酎の審査をすることも決定した。詳細はまだ発表できないが、TWSC2020年のウイスキー、スピリッツ部門の審査が行われる来年3月9日から11日までの2日間を使って、本格焼酎の審査も行うことにした。そのための準備も待ったなしだ。ある意味、すべてはオリンピックのためかもしれない…。
さらに実行委員会で話し合われたのは、9月に行う輿水さんの古希のパーティーの件だ。これは発起人として、TWSCの実行委員会全員が名を連ねるもので、会はウイ文研とTWSCで行いたいと思っている。そのための準備も進めてきたが、その発送先リストもほぼでき、100名近くにこれから発送することになる。
ジャパニーズウイスキーの定義、JWA、焼酎コンペ、古希のパーティーと4つの新しい案件が始動したことで、ますます忙しくなっているが、これは仕方がない。どれもこれも、まさに今しかできないことだからだ。
もちろん、それらと並行して『ウイスキーガロア』、TWSCセミナー、ウイスキーエキスパート集中対策、長和フェス、東京フェス、倉敷、ウイビアメッセ、ブラッシュアップセミナー、ウイスキーレクチャラー、ウイスキー検定の問題作りなど、日々やることは満載だ。
それだけでも手一杯なのだが、もう1つ、『チベットの原風景(仮題)』という、私家版の本を出したいと考えていて、そちらのほうも佳境に入ってきている。40年以上前の旅だが(最初は1975年なので、もうじき45年!!)、原稿の校正を始めてみると、まるで昨日のことのように記憶が蘇る。
この前、当時私が書いたラダック語のマメ会話集を読み返していて、ラダック語が少しずつ取りもどせてきていると感じた。来年ラダックに行ったら、2~3日でかなりのところまで思い出せるかもしれない。「カムザン・スキョ!」、元気で行ってらっしゃい、お達者でというラダック語の響きが、今でも頭の中に残っている。
最後にレーを発つ1981年4月に、下宿先のアマレー(お母さん)と交わした言葉で、その時は、また来年戻ってくるからと軽い気持ちで「アマレー、カムザン!」と言って別れた。あれから38年が経ってしまった。アマレーは当時68歳だったから、今はもう…。ヘタをすると、私があの時のアマレーの年齢に近づいている。

一番右がアマレーだ。
* ウイスキー文化研究所公式HP
* ウイスキー文化研究所公式twitter
月曜日に来年のコンペのパンフレットができてきて、その発送作業を開始した。審査員や、出品関係、マスコミ等、ようやくTWSC2020の公式のスタートだ。ということもあり、昨日30日の火曜日には、第1回実行委員会を開くことに。
今回の実行委員会は私も含めて16名だが、輿水さん、梅内さん、白根さん、平田さんを除く12名が参加した。そのための資料を山のように用意したが、1つはTWSCの作業部会の1つとして「ジャパニーズウイスキーの定義を考える会」を発足させ、その趣意書を作り実行委員に見てもらった。いよいよJWA(日本ウイスキー協会)設立に向けて、本格的に取り組まないといけない。
もう1つ、TWSCの中に「焼酎部会」を設け、焼酎の審査をすることも決定した。詳細はまだ発表できないが、TWSC2020年のウイスキー、スピリッツ部門の審査が行われる来年3月9日から11日までの2日間を使って、本格焼酎の審査も行うことにした。そのための準備も待ったなしだ。ある意味、すべてはオリンピックのためかもしれない…。
さらに実行委員会で話し合われたのは、9月に行う輿水さんの古希のパーティーの件だ。これは発起人として、TWSCの実行委員会全員が名を連ねるもので、会はウイ文研とTWSCで行いたいと思っている。そのための準備も進めてきたが、その発送先リストもほぼでき、100名近くにこれから発送することになる。
ジャパニーズウイスキーの定義、JWA、焼酎コンペ、古希のパーティーと4つの新しい案件が始動したことで、ますます忙しくなっているが、これは仕方がない。どれもこれも、まさに今しかできないことだからだ。
もちろん、それらと並行して『ウイスキーガロア』、TWSCセミナー、ウイスキーエキスパート集中対策、長和フェス、東京フェス、倉敷、ウイビアメッセ、ブラッシュアップセミナー、ウイスキーレクチャラー、ウイスキー検定の問題作りなど、日々やることは満載だ。
それだけでも手一杯なのだが、もう1つ、『チベットの原風景(仮題)』という、私家版の本を出したいと考えていて、そちらのほうも佳境に入ってきている。40年以上前の旅だが(最初は1975年なので、もうじき45年!!)、原稿の校正を始めてみると、まるで昨日のことのように記憶が蘇る。
この前、当時私が書いたラダック語のマメ会話集を読み返していて、ラダック語が少しずつ取りもどせてきていると感じた。来年ラダックに行ったら、2~3日でかなりのところまで思い出せるかもしれない。「カムザン・スキョ!」、元気で行ってらっしゃい、お達者でというラダック語の響きが、今でも頭の中に残っている。
最後にレーを発つ1981年4月に、下宿先のアマレー(お母さん)と交わした言葉で、その時は、また来年戻ってくるからと軽い気持ちで「アマレー、カムザン!」と言って別れた。あれから38年が経ってしまった。アマレーは当時68歳だったから、今はもう…。ヘタをすると、私があの時のアマレーの年齢に近づいている。

一番右がアマレーだ。
* ウイスキー文化研究所公式HP
* ウイスキー文化研究所公式twitter
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