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  02 ,2019

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「宮城峡誕生50周年、その記念ボトル…」

 ガロアの下版に向けての作業が続いているが、同時にコンペのフライトごとの梱包作業も始まった。今回のエントリーボトルは約530本。それらをすべて撮影し、1本1本アイデンティティーナンバーをつけ、さらにセッションとジャッジテーブル、フライトの組み合わせが決まったところで(25日の月曜に決定済)、タグを付け、ダンボールに分けて梱包してゆく。その前にすべてのボトルをブラインド加工することは、言うまでもない。今週中にはその作業も完了するだろう。

 そのコンペのプレス取材用のリリースも発信した。さらにセッションそれぞれのゲストテーブルも用意し、その招待状も出しおえた。あとは当日のサポートスタッフや、ジャッジの流れなどを検討しなければならないが、準備段階もいよいよ大詰めを迎えている。ガロアの下版と、そのコンペの準備の合間をぬって、今日は仙台の宮城峡蒸溜所まで行ってきた。1969年に誕生した宮城峡の50周年記念イベントで、3月12日に発売される余市と宮城峡のそれぞれの記念ボトルの発表試飲会でもあった。

 式が始まったのは午後3時。その前に蒸留所の見学会も行われたが、参加者は60~70名ほどにのぼっただろうか。ニッカ第2の蒸溜所として宮城峡が竣工したのは1969年5月のこと。今年でちょうど50年の節目の年を迎える。新川の水で水割りをつくり、「ここに決めた」と竹鶴政孝が言ったというのは有名な話だが、今回の記念ボトル、「宮城峡2019」には、その初年度の50年物の原酒が使われている。残っていたのは、たった1樽のみで、見学会の際にその樽を見せてもらった。

 あとでチーフブレンダーの佐久間さんが説明していたが、これはまさに初蒸留のファーストドロップの樽だという。知られざるエピソードとして教えてくれたのは、蒸溜所の竣工は5月だったが、このファーストドロップの樽は3月に詰められたものだという。つまり竣工式典の前に試験的に行われた蒸留の樽だったわけだ。

 この時、竹鶴政孝は流れ出るニューポットを飲んで「違うな」とつぶやいたという。息子の威さんはじめスタッフが、どこか間違ったのかと表情をこわばらせると、竹鶴は「余市と違う原酒ができている」と言ったという。つまり、大いに満足したというのだ。このファーストドロップのニューポットは、「新川に感謝するため川にもどしてこい」と、竹鶴に言われたという。その最初の原酒が50年の時を超えて、今回ボトリングされたのだ。

 ボトリング本数は700本。値段は30万円だが、テイスティングしてみて、そのあまりの旨さに驚いた。もちろん、70年代、80年代、90年代、2000年代の5ディケードの原酒がブレンドされているが、シェリー樽原酒の宮城峡がとにかく効いている。コニャックの古酒のようなランシオ香もあり、思わず言葉を失うほど美味である。同時に発売される余市もすごいが、飲み比べると改めて今回の宮城峡の旨さが光る。

 それにしても今から50年前の1969年3月に蒸留された宮城峡の50年。考えてみればその時私は15歳。ちょうど中学校を卒業したばかりで、4月から始まる新しい高校生活に不安と希望を抱いていた。親元を離れて、初めての下宿生活…。全校1000人を超える佐渡一の進学校。当時私はぼんやりとだが天文学者になることを夢見ていて、当然大学は国立の理数系に行くものと思っていた。いわば15の春である。

 そういえば、その年7月、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功している。下宿先にテレビはなかったが、新聞やアサヒグラフなどを食い入るように眺めていたのを、今でも思い出す。より強く、宇宙関係の仕事をしたいと思っていたはずなのだが、あれから半世紀、人生とは分からないものである。宇宙とは無縁になってしまったが、あの時誕生した原酒に50年ぶりに再会するとは…。


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