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  08 ,2018

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「ガロア、検定テキスト、ひたすら原稿の日々…」

 8月11日からウイ文研はお盆休みに入っている。毎年この時期には佐渡に帰ろうと思っているのだが、今年もとうとう実現できなかった。もう6年もそんな状態が続いている。

 この5日間、外に出たのは2回だけで、ほぼ終日恵比寿の仕事場にこもってガロアの原稿、検定テキストの原稿、それらの校正、そして『世界の名酒事典』の校正におわれている。平日はウイ文研でミーティング、来客があるため、原稿執筆、その校正はどうしても週末の休みか、こうしたお盆などの連休に、集中してやらざるを得ないからだ。もっとも、ほとんど土・日はセミナーや地方出張でつぶれているが…。

 それでも11日の土曜日は夜、昔の佐渡高校山岳部のOB7名が集まって、恵比寿のビアホールで久しぶりに飲むことに。私が山岳部に入ったのは高1の秋、15歳の時だったので、もうかれこれ50年近くになる。50年といえば半世紀だ。高2の春に、新入生勧誘で入ってきたのがフェルミエのHさんだ。つまり1年下の学年ということになる。私の代の仲間は、あらかた定年退職してしまった。久しぶりに高3の夏にみんなで登った新潟の八海山の話になり、楽しかった。当時はハンゴウで米を炊いていた。文字どおり、同じ釜のメシを喰った仲間である。

 13日の月曜は、六本木のフレンチレストランで『世界の名酒事典』の座談会。出席者はワインライターの葉山さんと、ワインのオーソリティー、弁護士の山本先生、そして私の3人である。名酒事典が初めて世に出たのは1978年のことで、ちょうど今年で40年になる。私がウイスキーの章を担当するようになったのは1996年頃で、すでに20年以上。それ以前、ウイスキーの章は福西さんが担当していた。

 座談会は、78年当時は何をしていたかという話からスタートしたが、私はその頃、ウイスキーや酒とはまったく無縁の世界にいた。1975年、21歳の時から西チベット、ラダック・ザンスカール地方に通い、チベットのフィールドワークをしていたからだ。78年はその資金を貯めるため、塾の講師などのバイトをかけ持ちしていた。飲んでいたのは、もっぱらサントリーのホワイトくらいで、ワインとも縁がなかった。

 ウイスキーとのきっかけは、写真週刊誌『フォーカス』(チベット後、81年から87年までいた)を辞め、イギリスに渡ってからだ。87年秋に渡英し、88年4月からロンドンで日本語情報誌『ジャーニー』の編集をしていた。その時行ったエジンバラで、スコッチのシングルモルトに出会ったのが、きっかけだ。考えてみれば、それから今年でちょうど30年。

 ということで(?)、11月の東京フェスではその30年を記念してスペシャル・テイスティングセミナーをやることにした(もちろん、急な思いつきだ)。手もとにある1950年代蒸留のグレングラント、ハイランドパークを出そうと思っている。さらに今年は初めての2日間開催なので、もう1つ別のセミナーも企画中だ。これは30年とはまったく関係がないテーマで、テイスティングを行うつもりだ。

 盆が明ければ、再び怒涛のスケジュールが待っている…。


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* ウイスキー文化研究所公式HP
* ウイスキー文化研究所公式twitter

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