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  05 ,2015

プロフィール

mtsuchiya

現在、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、ウイスキー評論家、日本初のウイスキー専門誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長として活躍中。2001年3月スコッチ文化研究所(現ウイスキー文化研究所)を設立。

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「ウイスキー検定と機雷掃海」

 昨日は恵比寿の仕事場から一歩も出ずに、『101レジェンダリー』、ウイスキーコニサー教本、『ウイスキー通信』の校正作業。特に101の翻訳校正に時間と体力を取られてしまった。気がついたら室内は29℃近く。テレビをつけたら、室内にいても熱中症に要注意といっていた。

 テレビといえば、国会で不毛とも思える議論が続いている。時間がなく新聞もこのところ読めていないが(眼の疲れが限界にきているせいもある)、機雷掃海の件が何度も議論になっている。

 機雷といえば第一次大戦後、イギリスの港湾にドイツ軍が敷設していったその除去に、日本の漁民が多く駆り出されたことを、知っている人はまずいないだろう。主に東北地方の漁村から連れて行かれた漁師たちで、ある者はそのままイギリスに残り、イギリス人と結婚した者もいた。

 ちなみに日本の漁師が選ばれたのは、彼らは木造船の扱いに慣れていたからで、漁師と一緒に100隻近い和船もイギリスに送られた。それを差配したのはトーマス・グラバーの息子、倉場富三郎である。

 それはさておき、その20年後に第二次世界大戦が勃発すると一転、イギリスに留まっていた漁師たちは敵国人とみなされ、皆スコットランドのキンタイア半島にある、ロッホギルヘッドのディテンションセンター、つまり強制収容所に送られた。

 なぜこんなことを知っているのかというと、1989年から92年まで編集長を務めていた月刊『ジャーニー』という雑誌(ロンドンで発行されていた日本語情報誌)で、一度取材をしたことがあるからだ。

 あのとき(1919年)、日本は日英同盟でイギリスとは友好国であり、そのため日本人がイギリスの港湾の機雷掃海という危険な任務にあたっていたのだ。機雷掃海には鉄製の船より、小型の和船のほうが向いているというのも理由だったという。

 で、そんなこととは関係なく、今日も朝から校正・校正・・・。晴れて気温がぐんぐん上昇している。今日は第2回ウイスキー検定で、一応私は仕事をしながら恵比寿で、万が一のために待機。何もないと思っていたら、午後3回ほど日販のHさんから電話が入ってきた。そのことについて指示を出し、とりあえず5時前に「無事終了」の報告をもらった。

 その電話を受けた後、一度スコ文研オフィスへ行き、帰りに本屋と文房具屋に寄って、再び恵比寿の仕事場へ。いよいよ今週は大阪フェスの直前準備と、『101レジェンダリー』の執筆である。翻訳校正はまだ終了していないが、発行予定日に間に合わせるため、私のパートの原稿を書き始めることにしたのだ。

 101アイテムすべてで、トータルして100枚ちょっとの原稿量だ。はたして・・・。


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